二人椀久(ににんわんきゅう)

二人椀久(ににんわんきゅう) 安永三年(1774)五月  作曲 初代 錦屋金蔵 

解 説

 ・「二人椀久」は本名題(ほんなだい)「其面影二人椀久(その おもかげ ににん わんきゅう)」と、いう踊りで、作詞者不詳、作曲・初代 錦屋金蔵です。安永3年(1774)江戸・市村座において9代目市村羽左衛門と瀬川富三郎(3代目瀬川菊之丞)が初演しました。

 あらすじ:この唄の話は、大坂の豪商・椀屋久兵衛/久右衛門(わんや きゅうべえ/きゅううえもん。椀久)の話で、実際にあった事件を下敷きに作られています。椀久は新町の花魁・松山太夫松屋)にいれあげて、放蕩の限りを尽く、坂中の評判となりました。たまりかねた親族が椀久を座敷牢に軟禁し、更には髪(髻・もとどり)を切ってしまいます。松山を恋するあまり精神に異常を来した椀久は、隙を見て脱走します。羽織に着流しザンバラ髪の異様な風体で待ちをさまよい歩き、松山の幻想とたわむれながら死んでゆくという物語です。

1.場面はどことも知れぬ、松の大木のある海辺近く。月がうっすらと照らすだけの夜道を、物狂いになった椀久が、ふらふらと彷徨しているところから始まります。松山の事を想うあまり、椀久の前に松山の幻影が現れます。踊りでは、その時に椀久が着ていた羽織を松山(幻)に着せる場面があるのですが、ここで椀久が二人いるように見えることから、二人椀久と名付けられました。

2.親の意見も耳に入らず、松山に逢いたいと身を焦がして祈るうちに、まどろんでしまいます。すると桜が咲き、どこからともなく松山が姿を現し、椀久に語りかけます。松山は今をときめく身でも、遊女の身は籠の鳥と同じように自由にできず、貴方と逢えないのが恨めしいと切ない胸中を訴えます。そして椀久がかつて着ていた羽織を身に着け、片袖を椀久だと思って眺めているのだと言います。

3.場面は更に明るくなり二人はかつての楽しい思い出を再現します。仲良く酒を酌み交わす様や、椀久が「闇夜が好きだ」と言えば、松山は「月夜の方が良い」と拗ねたりします。やがて、伊勢物語にある在原業平と紀有常の娘の有名な恋歌を、二人でしっとりと舞います。思いが高まるにつれて、眼目の二人のテンポのよい踊りになります。かざした手をヒラヒラとさせながら、互いに前後左右に入れ替わりリズミカルに展開する浮き立つシーンが続きます。しばし幻の松山とたわむれた後、この曲のハイライト、吉原での遊びを描いた「お茶の口切~」が始まります。ここから曲は一辺して明るくなります。軽快な三味線に乗って踊り手も吉原の様子を踊り上げます。

4.途中、謡曲「筒井筒」が出てきたり、コチャエ節(コチャ節ともいう)のひとふしが出てきたり、流行歌「按摩けんぴき・按摩の客寄せ歌)」などが挿入されたりします。そのあたりはお遊びとして、昔の人は軽いノリで楽しんでいたようです。

5.華やかな廓遊びの模様を描くうちに、松山の姿が次第に遠のきます。椀久は手を伸ばして松山を腕に抱こうとするが、手は空を切り、松山の姿は掻き消えていくのです。後には松風の音が聞こえるばかり。一人残された久兵衛は寂しさにうちひしがれ、倒れ伏すのでした。踊りではここで、一工夫がなされています。舞台で松山が大きな松の枝に、自分の着物をかける場面があります。松山が消えてから、椀久がその着物を手にとってあちこち探しまわるのですが、その松の後ろを通って、出てきたときには、その松山の着物が椀久の羽織(二人椀久の由来の羽織)に変わっているのです。

~~~~~~~歌 詞 ~~~~~~~

長唄 二人椀久(ににんわんきゅう) 安永三年(1774)五月  作曲 初代 錦屋金蔵

二上り〉 
たどり行く 今は心も乱れ候 
末の松山思ひの種よ あのや椀久は これさこれさ うちこんだ 兎角恋路の濡衣
〈三下り〉 
干さぬ涙のしっぽりと 身に染々と可愛ゆさの それが嵩じた物狂ひ
とても濡れたるや 身なりやこそ 親の意見もわざくれと 兎角耳には入相の 
鐘に合図の廓へ 行こやれ行こやれ さっさゆこやれ 昨日は今日の昔なり 
坊様坊様 ちとたしなまんせ 墨の衣に身は染みもせで 恋に焦るる身は浮舟の 
寄る辺定めぬ世のうたかたや 由縁法師の其一筋に 智恵も器量も皆淡雪と 消ゆるばかりの物思ひ 
独り焦るる一人ごと 恋しき人に逢はせて見や 兎角心の遣瀬なき 
身の果何と浅ましやと 暫しまどろむ手枕は 此頃見する現なり
[合方]
行く水に 映れば変る飛鳥川 流れの里に昨日まで はて 勿体つけたえ 
誓文ほんに全盛も 我は廓を放し鳥 籠は恨めし 心くどくどあくせくと 恋しき人を松山に 
やれ末かけて かいどりしゃんと しゃんしゃんともしほらしく 君が定紋 伊達羽織 
男なりけり又女子なり 片袖主と眺めやる 思ひざしなら 武蔵野でなりと 何ぢゃ織部の薄杯を 
よいさ しょうがえ 武蔵野でなりと 何ぢゃ織部の薄杯を よいさ しょうがえ 
恋に弱身を見せまじと ぴんと拗ねては背向けて くねれる花と出て見れば 女心の強からで 
跡より恋の せめ来れば 小袖にひたと抱き付 申し椀久さん (さってもてっきりお一人さま)
[鼓唄]
ふられず帰る仕合の 松にはあらぬ太夫が袖 月の漏るより闇がよい 
いいや いやいや こちゃ闇よりも月がよい 御前もさうかと寄添へば 月がよいとの言草に 
粋な心で腹が立つわいな (もうこれからがくぜつのだん) 
仔細らしげに坐を打って 袖尺着尺衣紋坂 うひかうむりの投頭巾 語るも昔男山
[謡] 
筒井筒 井筒にかけし麿がたけ 老いにけらしな 妹見ざる間にと 詠みて送りける程に 
其時女も 比べこし 振分髪も肩過ぎぬ 君ならずして誰かあぐべきと 互に詠みしゆゑなれば 
筒井筒の女とも 聞えしは有常が 娘の古き名なるべし(ああ古い、古い女郎買もしほがからうなった) 
[太鼓唄]
お茶の口切 沸らす目元に取付けば (ああなんぞいな) 手持無沙汰に 拍子揃へて わざくれ 
按摩けんぴき 按摩けんぴき さりとは引々ひねろ 自体某は東の生れ 
お江戸町中 見物様の 馴染情の御贔屓強く 
按摩けんぴき 朝の六つから日の暮る迄 (さりとはさりとはかたじけない) 
按摩冥利に叶うて嬉し 按摩けんぴき 按摩けんぴき 
[合方]
廓の三浦女郎様 ちえこちえ 袖をそっそと引かば おお靡きやれ かんまへて 
よい よい女郎の顔をしやるな ちえこちえ 袖をそっそと引かば かんまへて 
よい よい女郎の顔をしやるな ちえこちえ 
二人連立ち語ろもの 廓々は我家なれば 遣手禿を一所に連立ち 急ぐべし 
遊び嬉しき馴染へ通ふ 恋に焦がれて ちゃちゃと ちゃちゃと ちゃっとゆこやれ 
可愛がったり がられて見たり 無理な口舌も遊びの品よく 彼方へ云ひぬけ此方へ云ひぬけ 
裾に縺れてじゃらくらじゃらくら じゃらくらじゃらくら 悪じゃれの 
花も実もあるしこなしは 一重二重や三重の帯 ふすまの内ぞ候かしく

 ~~~~ 現代和訳対比~~~~~

二人椀久(ににんわんきゅう) 

たどり行く 今は心も乱れ候

末の松山 思いの種よ

 

松山の帰って行った道を、たどっているが、だんだん、心が乱れてきたと感じる。

末の松山という山へ、わたしの心は向かっているのだけれど。

あのや椀久は これさこれさ

うちこんだ とかく恋路の濡衣

 

勘当され、茫然としたまま立ち去ろうとしたら、椀久さんと、引き戻された。こうしてこうして、ふたりで恋の鼓を打ち合って。恋というものは、とかく涙で袖を濡らし、互いが濡れ衣のように、なるものなのだな。

干さぬ涙の しっぽりと

身に染々と可愛ゆさの

それが嵩じた物狂

とても濡れたるや 身なりやこそ

涙を乾かす暇もないほどしっぽりと、

身にしみじみと、いとおしいさが染みてくる。

それが高じて、物狂いになったのだが。

涙に濡れそぼった衣のまま、彷徨(さまよ)っている見であることよ。

親の意見もわざくれて

とかく耳には入相の 

鐘に合図の廓(さと)へ

行こやれ行こやれ さっさゆこやれ   ④ 

親に意見されようが、どうにでもなれと聞き棄てに、

何につけても親の言う事なぞ、耳に入れた事はなく、夕刻の鐘を合図に廓へ行きたいと躍起になり、いつでも、さっさと行こう、さっさと行こうと、思うばかり。

昨日は今日の昔なり

坊様坊様 ちとたしなまさんせ

墨の衣に身は染(そ)みもせで

恋に焦(こが)るる身は浮舟の

寄る辺定めぬ世のうたかたや

 

昨日はもう、今日から見れば昔のこと。

坊さま坊さま、ちょっとはお控えなさい、という声が聞こえてくるが、父に剃髪されてしまっただけで、墨ごろもに自分の身はまだ馴染んでいない。

いまだ恋にやきもき、この身は浮舟のようなもの。

舟をつなぎ泊める岸辺も定めず、世の中を泡のように行き過ぎるのみ。

由縁(ゆかり)法師のその一節(筋)に

智恵も器量も皆淡雪と

一中法師の歌の、ひとふしと同じ(「源氏十二段 浄瑠璃供養」)、智恵も器量も、みな淡雪(あわゆき)と消えてしまった。

消ゆるばかりの物思い

独り焦がるる一人ごと

恋しき人に逢わせてみや

とかく心のやる瀬なき         ⑦  

何を考えても、すぐ死にたいと思ってしまう。

独りで恋に焦がれ、独りごとを口にしているせいだろうか。恋しい人に遭わせてください。とかく心というものは、やるせないものだな。

身の果て何とあさましやと

暫(しば)しまどろむ手枕(たまくら)は

此の頃見する現(うつつ)なり     ⑧

今の自分の境遇は、なんとみすぼらしいことか。しばしのあいだ手枕で眠ると、夢の中では、むしろ正気に返ってぞっとする。

行く水に 映れば変わる飛鳥川

流れの里に昨日まで

はて 勿体つけたえ

 

 

 

 

<松山の視点>※廓(くるわ)へ帰る途中の、松山太夫の心の中

行く水に 映れば変わる飛鳥川

移り変わりの激しいその川の流れの里に、

つい昨日まで居たのだ。

はて。うつろいやすい恋にもかかわらず、

もったいぶってしまったものだわ。

誓文ほんに全盛も 我は廓を放し鳥

籠は恨めし 心ぐどぐどあくせくと

恋しき人を 松山に やれ末かけて 

かいどりしゃんと 

しゃんしゃんともしおらしく

君が定紋 伊達羽織 男なりけり又女子なり

片袖主と眺めやる

 

 

 

 

 

 

(吉原風景)

誓文がまかり通って生きづらい世の中だけれど、この私は廓の中では別格で、まるで放し飼いの鳥のよう。それでも籠の中にある境遇は恨めしく、心はくどくど、あくせくと動き回る。恋しき人を待ちながら、

ヤレ、未来のため、裾をしっかり両手で取り、

身持ち正しくしゃんしゃんと、しおらしく生きてきた。

恋しい人の定紋を染めた伊達羽織を身に纏い、

 

2/3

井筒の井戸を覗き込めば、水面(みなも)に映るのは男椀久であり、女である自分自身であり。

水面(みなも)の向こうから、片袖脱いだ主(ぬぐ=ぬし)さまも、こちらをじっと見つめている。

思いざしなら 武蔵野でなりと

何じゃ 織部の薄杯(うす さかづき)を

よいさ しょうがえ 〈繰り返す〉

恋のご指名のそのお杯(さかづき)、頂戴しましょう、

いっそ特大の武蔵野(杯の名前)で。何ならお高い織部の薄杯を、恋の契りに交わしましょう。

よいさ しょうがえは、掛詞?

恋に弱身を見せまじと

ひんと拗ねては背(せな)向けて

くねれる花と出てみれば

女心の強からで

あとより恋の せめ来れば

小袖にひたと抱(いだ)き付き

もうし椀久さん

さっても てっきり おひとりさま

 

 

恋しい人に弱みを見せるものかと、

すねたそぶりでピンと背を向け、縁切りを言い、

すねた花のように不機嫌そうに別れたけれど。

女心というものは、強いものではないために、足許(あしもと)から恋が攻めてくると、昔の人の歌った通り(「古今和歌集」)、ほんに、あとから恋の想いが寄せてきて。またもや、あの人の小袖へひたっと抱き付き、もうし椀久さん、とすがりついてしまった。

てっきり座敷牢にはひとりで居るのだと思っていた。

(松山が助けに行くと、襖の向こうに椀久の妻・おさんが控えていた)

ふられず帰る仕合せの

松にはあらぬ太夫が袖

 

 

(<椀久の視点>※松山太夫を追いながら、少しづつ狂乱の兆しが顕れる)

振られずに帰るのは幸せなこと。それを待っていたわけではないが、太夫に袖を引かれ、愛情を確かめることはできたと思う。

月の漏るより闇がよい

いいや いやいや

こちゃ闇よりも月がよい

お前もそうかと寄添えば

月がよいとの言草に

粋(すい)な心で腹が立つわいな

もうこれからが 口説のだん

仔細らしげに座を打って

袖尺着尺衣紋坂(そでしゃくきしゃくえもんざか)

ういこうむりの投頭巾(なげずきん)

語るも昔男山(むかし おとこやま)

 

 

 

 

 

会いたい人に会えもせず雲間(くもま)に洩れる月光も見ず、こうして闇夜のまま死んでしまうのかと、小野小町は嘆いたが、坊さん忍ぶにゃ闇が良い、月夜にゃ頭がぶうらりしゃらりと(坊さん忍ぶ唄)。

そう、座興唄にもあるじゃないかと言ったところ、

いいや、いやいや、コチャ闇よりも月が良い(コチャエ節)と唄で返され、

へぇ、お前はそうなのかいと、寄り添ったが(ソウカイ節)。

髻(もとどり)切られたこの身に向かって、月が良い、という言い草は、その心意気が粋(いき)すぎて、かえって腹が立つわいな。

もうここからが、口けんかの段。仔細了解した風に席を立ち、袖尺着尺、衣紋坂(えもんざか=吉原の土手)を登りながら、投げ頭巾(後ろを折った頭巾、法師や俳人が被るもの)に馴染みきれない坊主が語る、

尺にかかわる昔の自分の色自慢(男山の坂=男盛りの思い出、「古今集」序)。

筒井筒 井筒にかけし麿がたけ

老いにけらしな 妹見ざる間にと

詠みて送りける程に

其時女も 比べこし 振り分け髪も肩過ぎぬ

君ならずして誰(たれ)かあぐべきと

互いに詠みしゆえなれば 筒井筒の女とも 聞こえしは有常が 娘の古き名なるべし

ああ古い古い 女郎買いもしおが辛うなった

 

 

 

 

(<吉原土手にへたりこんだ、椀久の幻想>※もはや狂乱のルツボ)

筒井筒、井戸の高さと比べて遊んだわたしの背丈、

貴女が見ないうちにわたしは成長し、背が高くなりましたよと、和歌を詠んで送ったところ 女の方も

こちらも、長さ比べをした髪が長くなりました、

貴男さま以外、どなたが髪上げをして下さいますかと。

たがいに気持ちを詠みあい、そのせいで「井筒の女」と広まったのは、紀有常(きの ありつね)の娘であっ

3/3

て、井筒のとは、古い渾名(あだな)に違いない。

ああ、古くさい、古くさい。女郎買いも、だいぶん、しょっぱくなったわい。

お茶の口切 たぎらす目元に取り付けば

あら なんぞいな 手持ち無沙汰に

拍子揃えて わざくれ         ⑯

新茶を口切(くちきり)、たぎる湯音を聞きながら目を見れば、あら、なんぞいな、手持ち無沙汰のなぐさめに、拍子をそろえ、いたずらしかけてきたりして。

按摩けんぴき 按摩けんぴき

さりとは引け引けひねろ

自体 某(それがし)は東の生まれ

お江戸町中 見物様の

馴染 情けの ご贔屓(ひいき)つよく

按摩けんぴき

朝の六時(むつ)から日の暮(くる)る迄

さりとは さりとは かたじけない

按摩冥利に叶うて嬉し

按摩けんぴき 按摩けんぴき      ⑰

按摩しますよ、按摩いたしましょ。

こんな風に、引いたり、引いたり、ひねりましょ。

そもそも自分は東(あずま)生まれの力自慢。

お江戸中のご見物さまに、馴染(なじ)みやお情(な

さ)け、ごひいきをたまわります。

お肩もませて、いただきましょ。朝の六つから日が暮れるまで、いつでも呼んでいただけたら、かたじけなく存じます。

按摩冥利に叶うというもの、やれ嬉しいこと。

按摩しますよ、按摩いたしましょ。

廓(さと)の三浦女郎さま ちえごちえ

袖をそっそと引かば おお靡(なび)きやれ

かんまえてよい

よい女郎の顔をしやるな ちえごちえ

二人連(つれ)立ち語ろもの

 

 

吉原廓の三浦屋のお女郎さまよ(三浦屋の高尾太夫か)、智恵は後知恵。

袖をそっそと引かれたら、おとなしく、おなびきよ。(初期長唄「引車」)

覚悟を決めて、ヨイ。

良いから今は、女郎の顔をしないでおくれ。

智恵は後智恵、考えたって仕方がない。

ふたりで連れ立ち、恋を語って生きようじゃないか。

廓々(さとざと)は我家(わがいえ)なれば

やり手 かむろを 一所に連れ立ち

急ぐべし 遊び嬉しき馴染みへ通う

恋に焦がれて

ちゃちゃと ちゃとちゃと

ちゃっとゆこやれ

可愛がったり がられてみたり

無理な口舌も 遊びの品よく

彼方へ云いぬけ 此方へ云いぬけ

裾に縺れて じゃらくら じゃらくら

じゃらくら じゃらくら

そちらの廓(くるわ)もあちらの廓も、わが家みたなものだから。遣り手婆(やりてばばあ)も禿(かむろ)も連れ立ち、さぁ急ぎましょ、遊んで愉(たの)しい馴染みの店へ。

恋に焦がれて、ちゃちゃっと、ちゃとちゃと、

さっさと行きましょ。

かわいがったり、がられてみたり、

無理な言い分で始まる口げんかも、遊びであれば品良く見える。

あぁも言いぬけ、こうも言いぬけ、

裾にもつれて倒れてしまい、じゃらくら、じゃらくらと。じゃらくら、じゃらくら。

悪じゃれの 花も実もあるしこなしは

一重二重や三重の帯

ふすまの内ぞ そろかしく

悪ふざけのなかにも、花も実もある、色っぽい仕草。

一重二重(ひとえ ふたえ)と帯を解き、三重の帯まで取り去るり、ふすまの中で、、、

おっと、これにて候(そうろう)つかまつる。。

 ~~~~~豆知識~~~~

 ④ 鐘に合図の廓(さと)へ行こやれ行こやれ~訳:夕刻の鐘を合図に廓へ行きたい行きたい~

遊郭の夜の部は、暮六ツ(現在の18時頃)の鐘を合図に始まります。

・江戸時代、時刻を知らせる鐘の音は、日の出36分程前の薄明るくなった時を明六ツ(現在の6時頃)、日没後36分頃のまだ薄明るい黄昏時を暮六ツ(現在の18時頃)として、昼と夜の境目としていた。

その間を昼夜をそれぞれ6等分して一刻(いっとき)とした。これは不定時法といって、夏と冬の季節によって、日の出・日の入りが違ってくる。それでも江戸の人々は各地に設けられた時の鐘に、なんの不便も感じなかったらしい。しかしのちに、これを一々変更するのは面倒なので、二十四節気ごと、

すなわち15日に一度くらい、明六ツと暮六ツの時刻を変える習慣となっていった。

 

⑪〈思いざしなら 武蔵野でなりと 何じゃ 織部の薄杯(うす さかづき)を よいさ しょうがえ〉

訳:恋のご指名のそのお杯を頂戴しましょう、いっそ特大の武蔵野で。何ならお高い織部の薄杯を、恋の契りに

 交わしましょう。よいさ しょうがえ(掛詞?)

この部分は、椀久と松山太夫が、お座敷で初めて顔を合わせた場面です。「思いざし」というのは、

自分が先に口を付けた杯〔さかずき〕を渡して、誰かに酒を飲ませることで、「私はあなたのことが気に入りました」「惚れました」という合図です。武蔵野というのは、実在した織部焼の伝説の名器です。薄〔すすき〕の模様が入った、とても大きな杯だったそうです。

・婚礼の際には、三々九度で同じ器を使うことなど、日本人にとって、「同じ器で飲む」という行為は、特別な意味を持ち、とても重みのあるものなのです。

 

⑯ お茶の口切り

初夏八十八夜の頃に摘み取った茶の新芽は茶壺に入れて封をし、夏を冷暗所に置いて過ごし、更にうま味の出るのを待ちます。立冬の頃、その茶壺の口封を切って葉茶を取出し、茶臼で挽いて使い始めます。これを口切りといって、茶人にとっては「茶の正月」とも考え、炉開きと合せて目出度い行事の一つです。

 

⑰ 「按摩けんぴき」というのは、初演当時に流行っていた歌を取り入れたものだそうです。けんぴきは「肩こり」のことですが、「按摩けんぴき」となると「マッサージ」という意味です。「二人椀久」の場合は、「男女がマッサージしてじゃれて遊ぶシーン」と説明されるようです。

 

三味線のタマ:「二人椀久」の三味線と踊りのハイライトは⑰「按摩けんぴき、按摩けんぴき」から始まります。茶壺の口を切って、お湯の沸くのを待つ間に、手持ち無沙汰から二人でたわむれながら踊り出す場面です。ここから曲は一辺して、明るく軽快なテンポになります。

・三味線ではタマといって、替え手以外の三味線は2小節程度の長さの決まった手を繰り返し弾き続け、替え手が(おそらく本来は即興の)三味線のソロを弾きます。ここが三味線を弾く人にとっては大変むずかしく、そしてたまらなく魅力的な音曲らしいです。