連獅子(正)

【連獅子のあらすじ】                         

  1. 能舞台を模した松羽目の舞台に、二人の狂言師右近と左近が現れ、二人は厳かに舞い始める。舞は文殊菩薩の霊地である清涼山にかかる石橋を描写し、手にした手獅子の毛と衣で親子の獅子を模して獅子の子落としの伝承を再現する。
  2. 二人が舞台から下がると次の場は間あい狂言となる。清涼山の麓、頂きを目指す二人の修行僧が出会い、最初は旅は道連れと和やかに打ち解けるが、互いの宗門がライバルたる法華宗念仏宗だと判明すると、どちらの宗旨が優れているのかと激しい宗派間論争に発展する。法華宗の僧が題目南無妙法蓮華経」を団扇太鼓を叩きながら連呼すると、念仏宗の僧はすかさず叩き鉦(かね)を打って「南無阿弥陀仏」を連呼して応じる。題目と念仏の応酬のうち、いつの間にか双方が取り違え入れ替わって唱える事態となり互いに慌てるコミカルな展開を呈する。周囲ではにわかに暴風が吹き付け不気味な雰囲気となり、二人の僧は慌てて逃げ、舞台から去る。
  3. 大薩摩(おおさつま:物語を語る浄瑠璃の一種)が石橋の様子を描写し、悠然と親子獅子の精が登場する。親子は牡丹の花の匂いを嗅ぎ、「狂い」と呼ばれる激しい動きを見せる。そして牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花、それに戯れる獅子の様などを描き、親子の息の合った眼目の毛振り(けぶり)となる。長い毛を豪快に振り、獅子の座について幕。

間あい狂言 後半の衣装替えの間に宗論しゅうろんと呼ばれるユーモラスな間(あい)狂言が入ります。
南無妙法蓮華経 VS 南無阿弥陀仏の話です。

修業のために清涼山へと向かう法華僧と浄土宗の僧が道連れになり、清涼山を登りはじめる。最初は和やかに話をしていたのが、お互いの宗旨を知ると、宗旨の優劣争いに発展。法華経の功徳の素晴らしさ、念仏の御利益のありがたさをそれぞれが身振り手振りで語る。続いて法華宗の僧が団扇太鼓を叩いてお題目「南無妙法蓮華経」を、浄土宗の僧が叩き鉦(かね)を打って念仏「南無阿弥陀仏」を繰り返し唱えるうちに…。いつの間にか、題目と念仏を取り違えるという結果に。折から吹きつける暴風に二人は慌てて逃げていく。

【胡蝶の舞】: 後半の衣装替えの間に入る間狂言のほかに、羯鼓かっこ太鼓を打ちながら「世の中に 絶えて花香のなかりせば 我はいづくに 宿るべき~」で始まる胡蝶の踊りが入るケースもあります。

 「勇ましい親子の獅子の精」                                大薩摩(物語を語る浄瑠璃の一種)が石橋の様子を描写。先に白い頭の親獅子が悠然と出てきて、後に赤い頭の子獅子が続きますが、子獅子は花道七三のあたりで立ち止まると、そのままの姿勢を保ちながら、すごい勢いでいったん揚幕の方に引っ込みます(この辺は鏡獅子と同じ)。そして再び出てきて舞台に進み、親子揃っての毛振りとなります。能にならって「後(のち)シテ」と言う。親子は牡丹の花の匂いをかぎ、やがて狂いと呼ばれる激しい動きを見せる。そして牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花、それに戯れる獅子の様などを描き、親子の息の合った眼目の毛振りとなる。長い毛を豪快に振り、獅子の座について幕となる。

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~~~長唄 歌詞~~~

連獅子(正)        明治五年(1872)七月    作曲 三代目 杵屋正次郎 

それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 
桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて 虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 
そもそもこれは尊くも 文殊菩薩のおはします その名も高き清涼山 
峨々たる巌に渡せるは 人の工にあらずして おのれと此処に現はれし 神変不思議の石橋は 
雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るが如くなり

峰を仰げば千丈の 雲より落つる瀧の糸 谷を望めば千尋なる 底は何処と白波や 
巌に眠る荒獅子の 猛き心も牡丹花の 露を慕うて舞ひ遊ぶ 【胡蝶に心やはらぎて 
花に顕れ葉に隠れ 追ひつ追はれつ余念なく 風に散り行く花びらの ひらりひらひら 
翼を追うて 共に狂ふぞ面白き】

(時しも笙笛琴箜篌の 妙なる調べ影向も 今いく程によも過ぎじ) 
かかる険阻の巌頭より 強臆ためす親獅子の 恵みも深き谷間へ 蹴落す子獅子はころころころ 
落つると見えしが身を翻し 爪を蹴たてて駈登るを 又突き落し突き落され 
爪のたてども嵐吹く 木蔭にしばし休らひぬ 登り得ざるは臆せしか あら育てつるかひなやと 
望む谷間は雲霧に それともわかぬ 八十瀬川 水にうつれる面影を 
見るより子獅子は勇み立ち 翼なけれど飛び上り 数丈の岩を難なくも 駈上りたる勢ひは 
目覚しくも亦勇ましし  

(それ清涼山の石橋は 人の渡れる橋ならず 法の奇特のおのずから 出現なしたる橋なればしばらく待たせ給えや 影向の時節も 今いく程によも過ぎじ)

 獅子団乱旋の舞楽のみきん 獅子団乱旋の舞楽のみきん 牡丹の花ぶさ匂ひ満ちみち 
大きんりきんの獅子頭 打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 黄金の蕊現れて 花に戯れ枝に臥し転び 
実にも上なき獅子王の勢ひ (靡かぬ草木もなき時なれや 
万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひ納)獅子の座にこそ直りけれ

 

舞踊の場合の構成は、一部が省略されて、以下のようになります

それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 桃李に優る牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて
虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 そもそもこれは尊くも 文殊菩薩のおはします
その名も高き清涼山 峨々たる巌に渡せるは 人の工にあらずして おのれと此処に現はれし
神変不思議の石橋は 雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るが如くなり 

峰を仰げば千丈の 雲より落つる瀧の糸 谷を望めば千尋なる 底は何処と白波や 
巌に眠る荒獅子の 猛き心も牡丹花の 露を慕うて舞ひ遊ぶ

 

かかる険阻の巌頭より 強臆ためす親獅子の 恵みも深き谷間へ 蹴落す子獅子はころころころ 
落つると見えしが身を翻し 爪を蹴たてて駈登るを 又突き落し突き落され 
爪のたてども嵐吹く 木蔭にしばし休らひぬ 登り得ざるは臆せしか あら育てつるかひなやと 
望む谷間は雲霧に それともわかぬ 八十瀬川 水にうつれる面影を 見るより子獅子は勇み立ち
翼なけれど飛び上り 数丈の岩を難なくも 駈上りたる勢ひは 目覚しくも亦勇ましし

 

【胡蝶に心やはらぎて 花に顕れ葉に隠れ 追ひつ追はれつ余念なく 風に散り行く花びらの ひらり ひらりひらひら 翼を追うて 共に狂ふぞ面白き】


獅子団乱旋の舞楽のみきん 獅子団乱旋の舞楽のみきん 牡丹の花ぶさ匂ひ満ちみち 
大きんりきんの獅子頭 打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 黄金の蕊現れて 花に戯れ枝に臥し転び 
実にも上なき獅子王の勢ひ 獅子の座にこそ直りけれ

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連獅子(勝)       文久元年(1861)五月  作詞 河竹黙阿弥   作曲 二代目 杵屋勝三郎  

それ牡丹は百花の王にして 獅子は百獣の長とかや 
桃李にまさる牡丹花の 今を盛りに咲き満ちて 虎豹に劣らぬ連獅子の 戯れ遊ぶ石の橋 
これぞ文殊のおはします その名も高き清涼山 
峰を仰げば千丈の みなぎる瀧は雲より落ち 谷を望めば千尋の底 
流れに響く松の風 見渡す橋は夕陽の 雨後に映ずる虹に似て 虚空を渡るがごとくなり 
かかる険阻の山頭より 強臆ためす親獅子の 恵みも深き谷間へ 蹴落す子獅子は転ころころ 
落つると見えしが身を翻し 爪を蹴たてて駈登るを 又突き落し突き落す 猛き心の荒獅子も 
二上り〉 
牡丹の花に舞ひあそぶ 胡蝶に心やはらぎて 花に顕はれ葉に隠れ 
追ひつ追はれつ余念なく 風に散り行く花びらの ひらりひらひら 翼を慕ひ 共に狂ふぞ面白き
〈本調子〉 
折から笙笛琴箜篌の 妙なる調べ 舞ひの袖
獅子団乱旋の舞楽のみぎん 獅子団乱旋の舞楽のみぎん 牡丹の花ぶさ香ひ満ちみち 
大巾利巾の獅子頭 打てや囃せや牡丹芳 牡丹芳 
黄金の蘂あらはれて 花に戯れ枝に臥しまろび 
実にも上なき獅子王の勢ひ 靡かぬ草木もなき時なれや 
万歳千秋と舞ひ納め 万歳千秋と舞ひをさめ 獅子の座にこそなほりけれ

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【豆知識1『正連』と『勝連』】  

連獅子は能の「石橋しゃっきょう」から作られたもので、『正治郎連獅子』略して『正連』は、『連獅子』としての先行曲である『勝連』を3代目杵屋正治郎が改作し、劇場での歌舞伎舞踊により適した曲として仕立てたものです。作詞者は『勝連』と同じく河竹黙阿弥と、作曲当時東京村山座の立作者であった竹柴金作(後の3世河竹新七)とされます。といっても歌詞も中身も『勝連』に少し手を加えただけで大同小異です。

・話の中身は同じでも、『勝連』と『正連』は全く違う場所で演奏されてきた曲でした。どちらも最初は舞踊曲として作られたのですが、『勝連』は座敷での素踊りで出された演目で、現在では舞踊の地としては殆ど使われず、ひたすらその音楽性を楽しむ演奏会用の演目として好まれています。

 ・対して『正連』は村山座(市村座)で出された芝居『浪花潟入江大塩(なにわがたいりえのおおしお)』の一番目四幕目(注4)の舞踊として初演され、その時は5代目坂東彦三郎(1832‐1877)、2代目澤村訥升(後の4代目助高屋高助(没後6世澤村宗十郎を追贈)・1838‐86)という、当時を代表する歌舞伎俳優が踊りました。以来ずっと舞踊『連獅子』といえば『正連』と相場が決まり、演奏会でこの曲を鑑賞する機会はあまりありませんでした。

・『正連』が舞踊曲として大事にされてきた曲でありますが、この曲の演奏が舞踊の場合は、その構成が全く変わってしまいます。(参照:本曲歌詞の下段部分)
                        

【能・石橋】しゃっきょう                        

連獅子は能の「石橋」から作られたもので、「石橋」は能の五番目物。入唐(にっとう)した寂昭(じゃくしょう)法師(ワキ)は清涼山に至り、石橋を目前にする。この世から文殊菩薩の浄土に架かる橋である。現れた山の童子(前シテ。老翁(おきな)の姿にも)は、橋を渡ろうとする寂昭に、名ある高僧でも難行苦行の末でなければ渡れなかったと止め、自然が出現させた石橋の神秘を物語る。そして奇跡を予言して消える。仙人(間あい狂言)が出て橋の由来を述べ、獅子の出現を予告する。前シテをツレに扱い、間狂言を省く流儀もある。

・獅子(後シテ)が出て、牡丹の花に戯れつつ豪快に舞い、万歳千秋をことほぐ。獅子の出を囃す「乱序(らんじょ)」の囃子も、豪壮な中に深山の静寂の露のしたたりを表現する譜が加わるなど、特色がある。「獅子」の舞は能のエネルギーの端的な主張であり、技術的な秘曲で、伝承が途絶えたため江戸時代に苦心のすえに復興されたもの。赤と白の夫婦獅子、あるいは親子獅子の出る演出のバリエーションが多く、前シテを省いて、ワキの登場のあと、すぐに獅子が出る略式上演も広く行われている。

【豆知識2】

山びこ: 獅子が出てくる前の演奏で、しーんと静まり返った中を、鼓がポン。しばらく間があって太鼓がコン。・・・ポン・・・コン・・・。これって、どうやら山びこを表現しているらしいです。ぜひ耳を済ませて聞いてみて下さい。

 文殊師利菩薩: 智慧の仏さまです。梵語ではマンジュシュリー。釈迦三尊像普賢菩薩さんと一緒にお釈迦さまの脇を固めています。文殊さんは獅子に乗っておられます。石橋の向こうは文殊菩薩さまの浄土。美しい花びらが降りしきり、良い香りが漂い、いつも笙、笛、琴、箜篌の音が雲の隙間から聞こえてきています。

 石橋: この石橋は人工の物ではなく、自然に現れて架かっている石の橋なのです。その表面はわずか30センチ程、しかも滑りやすい苔で覆われており、長さは9メートルあまり。そもそも、この世界が開け生まれて以来、雨や露を降らせてこちらへとかける橋、虹によって神々はこの地へ渡られます。それを天の浮橋ともいい、それが橋のはじまりです。

・能では石橋があるのはインドの清涼山ということになっていますが、本来、清涼山は中国の山西省にあり、一般的には五台山と呼ばれます。台状の五つの峰からなる五台山は文殊菩薩の聖地とされ、峨眉(がび)山、天台山とともに中国仏教の三大霊場のひとつ。最盛期には300以上、今も47の寺院が建ち、元代(13~14世紀)以降はチベット仏教の聖地ともなって、2009 年、ユネスコ世界遺産に登録されました。

獅子と牡丹の関係: 連獅子の衣装や小道具には牡丹の花がよく用いられています。古くから、獅子と牡丹は縁起のよい組み合わせとされ、屏風や襖絵に使われる事も多いのですが、これには理由があります。百獣の王といわれる獅子にも弱みはあって、身体に寄生する虫によってその命をも脅かされることがあります。これが"獅子身中の虫"といわれるものです。どんなに大きく力のあるものでも、内部の裏切りから身を滅ぼすことにもなりかねない、という意味で使われますが、本来は仏典から出た言葉です。そしてこの虫を退治する薬が、牡丹の花に溜まる夜露。獅子はこれを浴びるために牡丹に戯れているわけです。

 毛振り: 一部にはシャンプーダンスとも言われており、連獅子が頭の毛をブンブンと勇猛に振り回す所作は、「身体についた虫が痒くてそれらを払っている様」を表わすとされているそうですが、この場合の虫は「邪気」の意味で「邪気を払う為の所作」だそうで、獅子の勇壮さを力強く表現しています。毛振りは毛を顔の前へ垂らし、左右に振るのを「髪洗い」、左右の床にたたきつけるのを「菖蒲打ち」、腰を軸にして振り廻すのを「巴ともえ」というふうに、振り方にそれぞれ名前がついています。獅子の毛は、ヤクという動物の毛を白や赤に染めたものです。ヤクはチベットの高地が原産のウシの仲間です。

 獅子團乱旋の舞楽の砌~(ししとらでんのぶがくのみぎん)の現代訳     

獅子團乱旋舞楽。獅子團乱旋の舞楽の砌。牡丹の英匂ひ充ち満ち。大筋力獅子頭。打てや囃せや牡丹芳。牡丹芳。黄金の蘂現れて。花に戯れ枝に伏し轉び。げにも上なき獅子王の勢ひ。靡かぬ草木もなき時なれや。萬歳千秋と舞ひ納め。萬歳千秋と舞ひ納めて。獅子の座にこそ直りけれ。

獅子・団乱旋の舞楽の曲が鳴り響く時。それらが演奏される時。香り高く咲く牡丹は、その芳香であたりを充たす。獅子は力強く頭を打ち振るう。獅子が動くと空気が動き、牡丹の香りもまた広がる。さあ音楽よ、よりいっそう盛り上げるがよい! この芳しき牡丹の花よ。牡丹のつぼみが開いて中より黄金の髄が姿をあらわす。獅子は牡丹の花・枝の上に伏し転がり牡丹の花々と戯れる。これぞまさしく、百獣の王たる獅子の勢い。その力に靡かぬ草木とてない今、このめでたさが続くように、万歳千秋と太平の世が続くようにと舞い納め、獅子は文殊菩薩の  元へと帰っていった。

* 獅子團乱旋ししとらでん: 「獅子」も「團乱旋」も舞楽で、唐から渡来した盤渉(ばんしき)調の「獅子」と、壱越調の「団乱旋」の二つの秘曲をさす。 

砌:みぎん:みぎりの音変化(例:寒さのみぎり御身お大切に)

大筋力だいきんりきん:という言葉は、謡曲集などでは(甚だ強い力)と解される。臨済宗柴山全慶師著『越後獅子禅話』春秋社刊によれば、(抜粋)これは『体金離金』と書かなければならないと存じます。(中略)華厳哲学に関する『十住玄義』という書物に出てくる『金獅子のたとえ』から来ているのであります…。柴山師の解説によれば、『いっさいの妄執を払って、この世を自由無碍に生きる見事な境地を、獅子王の威神力にたとえ、『体金離金の獅子頭、打てや囃せや牡丹芳』と形容したもの…と釈される。平たく言えば、物事を形や現象にとらわれず『体金』を実質としてとらえ、さらに、そこから離れて本質を見る生き方『離金』という道理らしいのだ。

牡丹芳: 詩人・白居易(722~847)の唄で、丹可愛やとか、牡丹よきかなといった感嘆詞。